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尾崎 豊(おざき ゆたか、1965年〈昭和40年〉11月29日 - 1992年〈平成4年〉4月25日)は、日本のシンガーソングライター。青山学院高等部中退。血液型B型。身長178cm。既婚。 1983年(昭和58年)12月、シングル「15の夜」とアルバム『十七歳の地図』で高校在学中にデビュー。ライブ 96キロバイト (11,100 語) - 2022年4月25日 (月) 08:38 |
尾崎の4枚目のアルバム『街路樹』に収録の『紙切れと○イブル』に、小暮はギターで参加
1992年4月25日、26才の若さでこの世を去ったシンガーソングライター尾崎豊。それから30年の時が経ったが、尾崎の楽曲の魅力は色褪せない。アルバム『街路樹』に参加したミュージシャン・木暮“shake”武彦(62才)が、尾崎との制作を回顧する。
【写真】死の直前、尾崎が泥酔し全裸で倒れていた現場
デビュー当初から才能を感じていた
ロックバンド「レベッカ」や「レッド・ウォーリアーズ」のリーダーで、ギタリストの木暮が尾崎を初めて知ったのは、1984年3月のことだった。
「当時のおれは、『レベッカ』のメンバーとして4月にデビューを控え、レコーディング中だったんだけど、途中でスタッフが、“尾崎のデビューライブを見に行く”といって出かけたの。でも、すぐに“会場に入れなかった”と帰って来て……すごいやつが現れたなと思ったんだ」(木暮・以下同)
そのライブ会場とは、新宿ルイード(1987年閉店)。佐野元春や浜田省吾などもその舞台を踏んだ400人収容のライブハウスだ。そこに、デビューしたての尾崎は800人近い観客を集めたという。
「この時代の日本のロックはまだマイナーで、世の中に流れている曲は、歌謡曲や演歌が主流。おれや尾崎がメジャーデビューした1984年は、BOOWY(※2つ目のOはストローク符号付きが正式)やHOUND DOGがロックバンドとしては人気を誇っていたけど、音楽業界そのものがロックとしてのセオリーを持っていなかったので、やりたいことができた。
そんな中で、尾崎は思ったことをそのままメロディーに乗せて飛ばす才能があったと思う。現実をストレートに歌っているのに、思慮深さがある。パフォーマンスには疾走感があり爽快だった」
木暮が感じた尾崎の才能には周囲も黙っておらず、デビュー翌年、19才にして、国立代々木競技場第一体育館で単独公演を実施。2日間で3万人を動員した。しかし、前述のようにその後スランプに陥り、渡米することになる。
「成功したら、今度はその先をどう進むかが大切なんだ。直感だけでは何も生まれないから。新たな感情で違う作品を作りたくて、ニューヨークに行ったんじゃないかな」
尾崎が求めたのはシンプルさだった
帰国後、3年のスランプを経て4枚目のアルバム『街路樹』が制作されようというとき、木暮はマネジャーを通じて尾崎から参加オファーを受けたという。
「オファーをもらえてうれしかったね。それで、数パターンの演奏を考えてから行ったんだけど、尾崎は“何も考えずにやってほしい”と言う。求められたのはシンプルな演奏で、尾崎はおれの目の前でしゃがみながら聴いていた。“こんなんでいいの?”と聞いたら、“最高!”と笑顔を見せてくれたんだ」
木暮が参加したのは、アルバムの中でもひときわ明るい楽曲『紙切れとバイ○ル』。爽快かつポップな曲調で、アルバムタイトルの候補曲だった。
「尾崎はおれに勝手気ままなエネルギーを求めていたのかもしれないね。アルバムタイトルの候補になったってことは、彼の中での自信作だったんだろう。そこにおれのギターを必要としてくれたってことは、いまでもうれしいね」
それから5年もしないうちに、尾崎はこの世を去る。
「当時、おれはアメリカで音楽活動をしていた。ロス暴動が起きて、街には銃声や火の手が上がることもあった。そんな中、尾崎の訃報が入ってきて、呆然としてしまった」
尾崎が破滅的な酒の飲み方をしているのは、かねてから目の当たりにしていたという。
「世間が求めるスターの自分と、本当の自分が違い、引き裂かれるような感覚があったんじゃないかな。おれも、次のヒットを出さなくてはいけない、動員数を増やさなくてはいけないというプレッシャーを感じた経験があるので、その苦しさはわかる」
いま再び、2人で演奏するならどんな曲が生まれていたのか。聴いてみたかった。
【プロフィール】
木暮“shake”武彦(こぐれシャケたけひこ)/1960年生まれ。1984年バンド「レベッカ」でメジャーデビュー。以降、「レッド・ウォーリアーズ」などさまざまなバンドで活動を続けている。最新アルバムは『Birthday Song』(ClearSky)。
4/24(日) 7:15配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/32ae8e3cb3a033a8c3d826a76b9424629151ec36?page=1
(出典 i.imgur.com)
(出典 i.imgur.com)
いつ尾崎がロックになったんだよwww
>>3
ロッケンロー踊ろうよロッケンロー!
>>3
こんなのロックじゃないとか昭和だな
昔はみんなそんなこと言ってた
最近
きっと忘れない
って曲を聞いたら涙が止まらなくなった
若い頃は捨て曲だと思っていたんだが
死○でからの過大評価がウザすぎ
>>7
カートとかみんなそうだよ、若くて亡くなると
>>7
取り捨て選択はお前がするんだよ
甘えるのが下手な優しさに似た土建業
>>13
評価
レベッカクビになって追い出されてた頃か
>>15
リーダーだったのにね…
杉咲花のお父ちゃん?
>>18
そう
尾崎なんて80年代の終わりにはもうダサかったのに何言ってんだよ
それ以降もダサい奴が好きになる曲の代名詞だったのに
>>22
たぶん絶頂期3年くらいだな
短いな
>>22
尾崎豊と同世代だけど当時からツッパリやオタクからも相手にされてなかったよ。
まあ須藤晃がいなかったら売れてなかったと思う
>>24
須藤晃と組むと、どんなアーティストもプロレタリア色強くなる件
>>31
村下孝蔵は?
>>70
それまでの日本情緒や郷愁の路線から変化が出て来た頃に、そういう曲が増えていった印象
「詠み人知らず」とか「群衆」、「教訓」みたいな
shakeてなんやねん
>>25
英語なら
Salmon
だよな
過大評価じゃね?
坂本九もだけど
夭逝や非業の死と本業の評価をごちゃ混ぜにしている気がする
>>29
15歳であんな曲書けて歌えたの
それ以降宇多田ヒカルくらいしかいない
>>35
あの「Automatic」をわずか14歳で書いていたことを考えると、宇多田ヒカルには100年たってもかなわない。
街路樹地味すぎなアルバムだったからなあ
表題曲の足元に降り注ぐ心模様辺りしか覚えてないや
>>33
いや十分だろ
>>33
尾崎自身も街路樹はあんまし評価してないと思った
尾崎とシャケが一緒にやってた曲が紙切れとバ○ブルだったとはまったく知らんかった凄い
一緒にやってたんだね知らんかった
そうだったのかぁ
>>44
レコード会社が同じだったからね
ミドルネームみたいなの入れるの流行ったよな
ひょうきん族のスタッフが走りだったような気がする
未だにやってんの見るとすげえ痛い
>>52
とか決めつけてるとマジの洗礼名でミドルネーム付いてたりするから気を付けろ
シャケのギターの良さがわからない
誰か解説してー
>>57
カッティング聞いても分からなきゃ○ぬまで分からんよ
音楽的にはベタ
歌詞はド直球
ダサいと言われても仕方ないな
だがたまに聴きたくなるのはなぜだろう
>>60
尾崎の曲は音楽ではなく詩の朗読だと思って聴いてる
>>60
古舘伊知郎だったかな?寝落ちしてた時に尾崎豊の曲が流れてて夢の中で泣いてて目が覚めたら本当に泣いてたって言ってたような
尾崎豊が売れて先が見えなくなりニューヨークに行ったのは先行者の佐野元春の影響だろうな
佐野はヒップホップとミクスチャーロックを持ち帰ったが
尾崎はドラッグを身につけて帰ってきたいわゆる破滅型タイプで海外から音楽を輸入する才能はなかった
>>64
尾崎のNY生活を収めたビデオを公開してくれないかな
何年か前に一部だけアップされた記憶がある
街路樹ツアーのCMにも使われてたNYの青空と雲と歩く尾崎が印象的な映像とか
ドラムのキヨシもバックで参加してたしレッズは尾崎と関わりあったほうなんだな
>>68
キヨシはベーシストだが?
もし岸田智史がロックをやったら?ってのがCBSソニーの企画のひとつの狙いだったと思うよ
83年当時、このまま岸田智史のような哀愁フォーク路線で売り出すのも前時代的で違うとは思ったろうし
本人の意向を汲んだら佐野や浜省やアナーキーなんかも好きらしいからそういう観点からCBSはプロデュースしていったと思う
>>80
あの頃のCBSソニーは小山卓治のことはどう考えていたんだろうな
>>82
CBSソニーからすれば、当時30過ぎた浜省を筆頭に、20代半ばの小山、10代の尾崎、
とキャッチする網を揃えたんだと思う
スプリングさんタイプの日本における市場調査をする意味合いもあったろうな
ダンスホールや街の風景を聴いて須藤さんが
「これは尾崎の周りの大人の誰かが作っててアイツが作ったんじゃないよ」って断言したって話好き
そりゃ普通そう思うよね
タバコの空箱丸めて投げつけた人
>>83
しかもノッコにな
尾崎はなんでヒップホップに影響されなかったんだろ
当時にNYって中心地だろ
夢を壊す事言っちゃいけないけど市ぬ前の尾崎が一番悩んでたのは
大学行かなかった事を後悔してる事をファンにどう伝えようかということ
>>94
それは嘘でしょ。行こうと思えば何歳でも行けるわけだし。
悲劇のヒーロー気取りのナルシシズムが一番マズかった。
ファンの大半は団塊ジュニア。リアタイとちょい遅れて聴き始めた世代。
ここは管理教育が激烈を極めた時代だった背景もあるし。神戸の事件が
その最たるもの。
街路樹は名曲
むしろ街路樹しか聴かなくなった
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